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怪獣のつぶやき【続 生きがいの創造 篇】
2008年05月26日 (月) | 編集 |
今更ですが・・・・・
『生きがいの創造』という本読んで、
怪獣がいろいろと考えたことの続きです。。



伊織クンの障害と向き合って生きていく覚悟がだんだんとついてきてからは、
日常の生活の中での伊織クンの育児に対して、以前ほど緊迫したストレスを感じることは
なくなってはきていますが、反面、自分の死後に対しての恐怖の念は、
日増しに強くなっているのを感じていました。。


というのも、最近から障害児の児童デイ・サービスの事業所以外に、《日中一時支援》の事業所も利用するようになったのですが、ここは知的障害者の入所施設に隣接されているので、
この事業所に通うたんびに、入所施設で生活している《年配の知的障害者》の方々の姿を
目にする機会が増えたから、というのもあると思います。。


以前、タカ派で有名なある都道府県知事が、知的障害者の入所施設を視察した際に、
『この人たちに人格はあるのかね?』
という、それこそ、この知事の人格を疑ってしまう発言をしたそうですが、

でも実際、私自身も知的障害者の入所施設で生活している方々の姿を初めて見たとき、
《わが子もいずれこういう日々の過ごし方をするのだろうか・・・・・・》
と、心の中で、涙まじりに重く深いため息をついてしまいました。。


『人格』ってなんだろう??
『人としての意識』って何だろう??
『人としての尊厳』って何だろう??
『生きる喜び』って何だろう??


重度知的障害者には、程遠いもののように思えてしまう・・・・・



何のために『生かされる』んだろう??









お叱りを覚悟で本音をいってしまうと、
重度知的障害者=親の死後はみじめな生活?
という思いを、どうしても打ち消す事ができないくらいに、
大きな衝撃を受けてしまったのです。。


私は1日でも長く生きなければ・・・


本当にそう思いました。。
でもこの本を読んでからは、不思議と
《自分の死後の恐怖》
というものからちょっとだけ解放されました。。


この本の著者の飯田先生の主張の中に、


重い病気やハンディキャップを持ちながら生きる人は、決して「運の悪い人」ではなく、しばしば誤解されるように、「過去生で悪い事をした報いを受けている人」でもありません。
 なぜなら、意識体としての自分が宿る肉体そのものに試練を与えながら生きるというのは、この物質社会で人間として生きるうえで最も困難な挑戦課題のひとつであるため、それほどの試練に挑戦するに値する、よほど発達した意識体のみに、そのチャンスが与えられるはずだからです。


中略


「すべての因子をよく考慮したうえで、すべてを自分の意思で選択する。
誰かから押し付けられたものは、何一つないのである。」


このような人間観をもとにして、現在、欧米では、これほど勇気ある人々を「病人」や「障害者」と呼ぶのはやめて、『チャレンジング・パーソン』(挑戦者)と呼ぶ習慣が広がりつつあります。
この言葉には、「それほど高度な試練に果敢に挑戦している、素晴らしい人々」という、尊敬の念が込められているのです。





もし飯田先生の主張どおりだとするならば、
『伊織クンの魂そのものが、人間社会に挑戦したいことがあって、自らが選択した人生』
ということになります。。


このことを信じるのか信じないのかは、正直自分自身でもまだわかりません。。
でも不思議な事に、

《もし、伊織クン自らが選択した人生だとするのなら・・・・》

と理屈抜きでそう考えると、《自分の死後、伊織クンはどうなる??》
という恐怖から解放されるような気がして・・・・

またその分、現実の障害者に対しての厳しい社会を
目をそらさず直視することができるし、また直視できるからこそ伊織クンの将来を見据えて、
療育にしても、就学の問題にしても、日々の生活にしても、

《今何をすることが大切なのか》

ということを冷静に、真剣に考える事ができます。。



また、これははじめて気がついた事ですが、
障害のある方々は、その生の姿そのものをさらけだすことによって、
彼らが意識している、していない関係なく、彼らと関わる人々に、


『人格』ってなんだろう??
『人としての意識』って何だろう??
『人としての尊厳』って何だろう??
『生きる喜び』って何だろう??

『社会の矛盾』
『あるべき現代社会の姿とは』
『教育と福祉』

等など、究極の、《人間と社会のテーマ》について、考えるきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。


社会でもっとも『人権』を見落とされがちな彼らの問題を考える事は、
実はすべての人々の生活を守る事につながるのではないか・・・


社会でもっとも『排除』されがちな彼らを、『排除』しない社会にすることは、
あらゆる弱者の立場に立つ人々をも、『排除』しない社会になる、ということではないか・・・


私には、彼らの生きる姿そのものが、必死に社会に訴えているように見えます。。



だから、障害をもつ伊織クンと共に生きる家族として、
《どう生きるのか?》
という事を、悩みながらも、迷いながらも、それでも懸命に模索していきます。。


ふと、以前読んだ、戦後すぐに障害児福祉に力をそそいだ『糸賀一雄』さんの、

《この子らを世の光に》

という言葉が頭をよぎりました。。

この子ら世の光を・・・・、ではなく、
この子ら世の光に・・・・。。





死後の恐怖という《蓋》をはずして楽になれた分だけ、
また1歩、着実に踏み出せたような気がします。。








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コメント
この記事へのコメント
 お久しぶりです。
 お元気そうで何よりです。
 怪獣ママさんも、あるところまできなさったと感じました。私が言うのもおかしなことですが、障害者を授かったことにも意味があって、そう生まれた人には大きな役割があると思います。
 決して、無駄な命は無く、それぞれに役割があるのだと思います。その役割を周りの者が察し手足となって動かなければならないと思います。
 精一杯体を大切にして、なにかを掴み取ってくださいね。
2008/06/30(Mon) 19:30 | URL  | 太郎ママ #-[ 編集]
こんばんは
怪獣ママ、元気なのかいな?
またまた気配がないので、気になりながら…

今日は、報告にきました。
青空の下で…
閉鎖することにしました。
詳しい事は、また機会があれば…

といっても、ネットからは離れないので(笑)
また、遊びにくるよ~

あんまり無理せずにね!
ほどほどに吠えるのよ(笑)
2008/06/23(Mon) 00:19 | URL  | タルト #-[ 編集]
おひさしぶりで~す。
私もその本を読んでから死というものにあまり否定的な感情を持たなくなったんだよ。
いいタイミングで読めてよかったね。
2008/06/05(Thu) 10:43 | URL  | みーみん #gHke2YW6[ 編集]
涙が止まりません。
ありがとう。
2008/05/26(Mon) 09:15 | URL  | むらさき #-[ 編集]
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